っふぃろらぼ

自己顕示欲を満たす傍ら、ちょっぴり文化興進できたら良いなぁとか夢見るブログ

コラム:「麻生太郎の『ヒトラー』発言」について

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(http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%8C%E6%92%A4%E5%9B%9E%E3%81%A7%E6%B8%88%E3%81%BE%E3%81%95%

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急にテーマがお小言っぽくなってしまいました。

いやね、ミサイルに関するものも書きたかったんですが、如何せん一筋縄ではいかない問題ですから、うまくまとまらなくて。(世の中一筋縄で行くほうが少ないですけども)

というわけで、比較的簡単なこちらの話題にしました。

 

今回の題材について簡単に説明すると麻生太郎が『ヒトラーはいくら動機が正しくても駄目だ』と発言したことを社民党が批判して辞職を求めた」ということです。

 

筆者個人としては、このようなことでいちいち口うるさく言うのはどうかなぁ、と思ってます。

まずこの麻生さんの発言の文脈なのですが、「政治家はなによりも結果を出さなければダメ」、というような中での発言でした。

...じゃあ、別にいいんじゃないですかね?

批判する側の人たちは「麻生太郎ヒトラーを少しは支持してる」という風な言い分だそうです。ということは、この批判をはねつけるためには「麻生太郎ヒトラーを支持していない」ことを証明すれば良いのですが、件の発言の文脈から考えても、ヒトラーが悪の象徴として用いられていることは確かです。よって、このような批判は成り立ちません。

 

ただ、これで解決、というには少し早計なんですねぇ。注意すべきは件の発言の「正しくても」という部分です。よりベターは「正しかったとしても」でしょう。あとは発音の仕方も重要です。

第一に、「ヒトラーの動機は正しかったのか否か」という問題がでてきますが、これは非常に難しい問題ですので、ここでの議論は控えます。たとえヒトラーアーリア人優生主義を最初期から唱えていたとしてそれがヒトラーの「動機」なのかという話になってきますしね。ただ、麻生さん本人が釈明の中で「ヒトラーは動機においても誤っていた」と明言している*1ので、今回はそういうことで話を進めます。

あとは全て、日本語の問題です。

言語のネイティブの間でも、各人でその言語感覚は異なってきます。まして年代が違うとなれば尚更です。筆者は麻生さんよりも年齢が下になりますけども、「正しくても」という言い方には譲歩と反実仮想が半々で同居しているように感じます。「正しかったとしても」という言い方は、相手への返答ではなく自分からの主張として用いた場合に譲歩:反実仮想=2:8くらいになる、と筆者は感じます。

 

こういう点で、麻生さんにも責任があると思います。

 

さてさて、麻生さんとヒトラーといえば2013年の「ナチスの手口」発言がありましたね。あれは麻生さんが悪いと思います。たとえ真意は異なっていたとしても、あの発言は実に意図が伝わりにくい。「誤解」されても致し方ないと感じます。「日本語は聞く方に責任がある」とよく言いますけども、発言者が責任を持たなくていいということではありません。政治関係者ならば尚更。

 

上で言語感覚の話に触れましたが、そのようなのっぴきならない感覚の差があるので断言はできないんですけども、麻生さんはやはりどことなく「教養」と呼ばれるものに欠けているように感じます。筆者が「教養」という言葉を使う際には「配慮」や「緩衝」のニュアンスを込めています。

筆者としては「未曾有」のお話が未だ印象的です。「熟語が発音できないからといって政治ができないということになるのか」とかいろいろ考えました。

ですがまぁ、やはり政治家たるもの「教養」は必須ですね。「配慮」や「緩衝」の意を含んで。なんかアメリカ現大統領の顔が浮かびますね...

 

麻生さんが度々ヒトラーを引き合いに出すのも「教養」の不足の現れと捉えることもできそうではないですか?即ち、ヒトラーならば「教養」の無い人でもよく知っている、ということです。

まぁ、これは単なる憶測なのであまり強く主張することはしませんが。

 

このようにして、麻生さんは全体的に「教養」が足りていないと感じています。この結論自体は「何をいまさら」ということですけども。できればここに至るまでの上述の過程のほうに注目していただければと。

 

 

さて今回の問題ですが。

明らかに「ナチスの手口」発言のときよりも麻生さんに分があります。捉えようによっては、「ナチス」と置換可能な「ヒトラー」というキーワードを用いて問題の無い発言を遂行することで、「麻生太郎ナチス支持」というイメージを払拭しようとしたのでは、とも考えられます。失敗に終わったようですが。いや、この目的に気づいていた批判側の人たちが阻止しようとしたのかもしれませんね。

ただ、最初に述べた通り今回の件では批判のナンセンスさが明らかですから、マスコミの報道次第で麻生さんの印象は大きく左右されるでしょう。

まさかわざとナンセンスな「麻生叩き」を昔から続けて、「麻生さんを批判してる連中はバカ」という声、ひいては「麻生さんはやっぱりわかってるなぁ」というような声を導きだして反動的に自民党支持を上げようとしている...とは思いたくありませんが――「いや、なんのためにだよ」とか「陰謀論だ」とかって話になりますが――今回の批判はそれほどまでに苦笑ものです。

確かに引き続く「ヒトラー」発言で気が張るのもわかりますがね。「ヒトラー」と聞くだけで「やーいやーい、『ヒトラー』って言った―。ダメなんだー」と言っているようにも思えてしまうのです。重要なのは「ヒトラー」という音ではなくヒトラーという政治家が持っていた、或いは今日持っている本質でしょう。

さらには今回の問題から「引き続く妄言はアベ政権の...」という風に論を展開していく言説はこじつけ感があるように思います。社民党には「迷ったら批判しておけ」というポリシーでもあるのでしょうか。

あと考えられるとすれば、批判しなかったらしなかったで今度はヤジが飛ぶんでしょうか。「何故批判しなかった」というような。

 

 

以上。今回のお話では物議を醸すテーマがいくつか登場しました。まとまりを得るため特別深くは掘り下げませんでしたので、今回は少し粗削りな構成になってしまったかもしれません。ご指摘をお待ちしております。

ヒトラーに関しては今後取り扱うことは避けられないでしょう。

 

(参考)

http://d.hatena.ne.jp/utopian20/20130801/p1