っふぃろらぼ

自己顕示欲を満たす傍ら、ちょっぴり文化興進できたら良いなぁとか夢見るブログ

映画『三度目の殺人』考察

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(映画『三度目の殺人』公式サイト)

 

感想の記事でも述べたように、本作は鑑賞者が想像する余地が非常に重要です。よって、この考察も当然一鑑賞者が想像したものに過ぎません。

複数の鑑賞者が集まって、それぞれの考えを議論しあうという営みがとても魅力的に思えます。

ああ、映画好きな友人とあーだこーだ言い合いたい。

 

 

※以下ネタバレを含みます※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作を考察するにあたって最も大きな問題になるのは、果たして「三度目の殺人」の意味とは、というところでしょう。

作中では、本作の題名である「三度目の殺人」が何を指しているのか、というのが明らかにされていません。

普通に考えれば(咲江「普通ってなんですか?」)一度目の殺人は三隅の前科である30年前の留萌での事件。二度目の殺人は今回の工場長の事件。

...では、三度目は??誰が誰を殺したのでしょうか?

二つ考えました。

 

 

一つは、「三隅が三隅を殺した」というものです。

これはわかりやすいかと思います。三隅は、「俺は殺してない」という、佳境での急な供述転換によって自らをそうなると分かっていながら不利な状況に追い込み、結局死刑判決を導きました。

その動機は明らかではありません。これは最後の重盛と三隅の問答でやりとりされています。

咲江に辛い供述をさせないためなのか。それが正解か否かすら三隅本人が明らかにしない(或いは本人もわからない)のは、重盛がそう思いたいならばそう思っていれば良い、ということなのか。それは、三隅はただの「器」に過ぎない、ということなのか。(この点に関しては後程)

 

 

もう一つは、「三隅が重盛を殺した」というものです。

勿論重盛は肉体的には死んでおりません。ですが、全編を通して重盛は三隅の闇にずぶずぶとはまっていき、司法や自分自身に対して疑問を抱き始めます。もともとビジネスライクな弁護士だった重盛は、「真実は必ずしも必要ない」と発言したり、裁判を戦術的に考えたりする人物でした。それがやがてこの事件の真相を追い求めるようになり、三隅の「やってない」という供述に対しても信じる姿勢を示し、裁判にあたっても犯人性を問うよう要請しました。

このことを踏まえて、「三隅が重盛を殺した」という説には二つのパターンが想定できます。

 

一つは、重盛が「司法とは何か」というような問いに囚われ、今後の道を見失ってしまった、というものです。

咲江の「誰も本当のことを言ってない。誰を裁くかって、誰が決めるんですか」という発言や、最後の三隅とのやり取りを経て、重盛はゲシュタルト崩壊のような状態に陥ってしまったのかもしれません。

これは、一番最後のカットである、「十字路の真ん中に立ち尽くす重盛」をある種のメタファーと捉えたものです。

 

もう一つは、これまでのビジネスライクな重盛が失われた、というものです。

まぁ要は、この一件を経て重盛の性格が変わった、ということなんですけども。

一番最後のカットの重盛の顔が比較的穏やかであることから考えられるパターンです。

 

 

ここまでが、「三度目の殺人」についての筆者の考えです。

 

 

もう一つ気になるのは、最後の重盛と三隅の問答における「あなたは『器』だということ?」という重盛の発言です。

この言葉はどういう意味なのか。

「器」とは、何かものを入れるためのもの。通常その中身の方に重きが置かれ、器それ自体はあまり注目されない。或いは、中身を抱えると同時に外見を担うもの。

筆者は以下のように考えます。

三隅の言動の意図は最終的に何一つ明確にわからない。重盛を含む他者にとって、目に見えているのは三隅の言動のみ。その中身である三隅の意図は全くわからない。作中、三隅の前科について当時警官だった壮齢の男性が語る中で、「空っぽ」という言葉が用いられます。今回の事件でも三隅は供述を二転三転させ、まるでその内実を明かしません。

結局、他者は三隅の言動を受けてその中身をそれぞれが想像するしかない。

序盤、重盛の同僚の女性が「同じ殺人でも怨恨か金目的かで罪が変わっちゃうなんて」というような発言をしています。これがここで生きてきます。

人の中身なんて、実は誰もわからない。その上で、言動への恣意的な意味づけによってそこに形成されるいわば仮の「人物像」を用いて、人は人を裁いている。「誰も本当のことを言ってない」。

こういう意味合いでの、「器」だと思います。

まさに感想で述べた是枝監督のポリシーそのものがここに顕れているように思います。

 

 

最後に一つ。これまた最後の問答のシーンですが。

なるほど、三隅と重盛の顔がガラス越しに重なります。

しかしあえて言うならば少しずれている。

そのずれを埋めるようにして、重盛は三隅と応酬しながらその顔を三隅の顔に近づけていく。しかし、そのすぐあとに三隅の顔はまた一歩先へずれてしまう。

それを繰り返し、最後はついに重盛の顔が退いていってしまう。

これも重盛と三隅の心理的な距離のメタファーのように思えます。

裁判官への憧憬や、「生まれてこない方がよかった人間」についての考え方など、重盛と三隅には重なる部分が多いように描かれていました。それがまた、重盛が三隅に飲み込まれていく手助けをしたのかもしれません。

 

 

以上。だらだらと思うところを書かせていただきました。

しかしこれ以外にも、6羽のカナリアや、重盛が北海道で見た夢など、未だ筆者が解き明かせていない部分は多くあります。

そのような部分を是非いろいろな人と話し合いたいものです...