っふぃろらぼ

自己顕示欲を満たす傍ら、ちょっぴり文化興進できたら良いなぁとか夢見るブログ

コラム:「不文律」について

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(https://cjjj1.wordpress.com/2008/09/17/ancient-athens-way-of-life/)

 

今回は至って大学生に身近な話題について書こうと思います。

ズバリ、未成年の飲酒にまつわるお話です。

大学生になると解放感から羽目を外す方が多いといわれています。その一例が飲酒ですね。日本では法律によって20歳未満の飲酒は禁じられていますから、二浪していない限り大学一回生が飲酒をするのは法律違反ということになってしまいます。(厳密には一浪でも誕生日を迎えれば良いのですが...)

 

でも、ぶっちゃけ皆飲んでますよね??

 

「先輩」も飲んでるし、「同い年のアイツ」も飲んでるし、最早飲んでない人の方がマイノリティだし、そうなれば「僕」も飲んでしまう。

...と、こんな状況が世の中に蔓延しているわけです。加えて言うならばこれは大学生に限った話ではないようです。俗に「学校」と呼ばれる機関から抜け出た後の人に見られる傾向のようです。それはつまり、最終学歴が中学校や高等学校である人といった集団を含んでいます。

このような傾向はRuth Benedictの『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)に登場する「恥の文化」を彷彿とさせますが、別に日本以外の国でこういうことが無いということはないでしょう。あくまで予想ですが。

余談ですが、海外では18歳から、という国が多いようです。*1

 

さて、そんな風にして未成年でありながら飲酒を始める人々の言い分として、「19歳が20歳になった瞬間に何か変わるのか」というものがあるようです。

なるほど、確かに。

少なくとも健康科学や生物学に造詣の深くない限りにおいては、納得してしまうような気もします。そもそも「年」という概念も一応天文学に基づいているとはいえ、人間が勝手に定めたものですしね。

また、体質に個人差がある以上、倫理的には「20歳」という数字は(一般的な)最大値であるべきだと考えられましょう。つまり、18歳や19歳から飲酒を始めても所謂身体への著しい悪影響が無い人も居るが、20歳からでないと悪影響が出る人が居る以上、「20歳から」と定めなければ法律は責任をとれないのです。

そう思えば、自分が「20歳からでないとダメな人」か「20歳まで待たなくても大丈夫な人」か、どちらであるのか恣意的な計算をして後者である確率の方がはるかに高い、と判断しそうな気もします。

実際の割合はわかりませんが...。調べればすぐわかることでしょうけど。酒の席に置かれた若者は調べる暇を持たないでしょう。

 

 

さて、今回の主題はここからです。

 

一旦ここでは上記のような「20歳まで待たなくてもいいだろ」というような考え方を是認するという立場を取ります。

しかし未成年の飲酒が法律違反であることは変わりません。

では、18歳や19歳で飲酒している人々は告発・逮捕されて処罰されるべきなのでしょうか?即座に肯定できないのが厄介なところです。

事実、現在かくも未成年の飲酒が横行している原因の一つは執行機関による「黙認」でしょう。未成年の飲酒を全て検挙するコスト、彼らから徴収される罰金、そもそも飲酒が青年の集団にもたらし得る好影響等...諸々の要素が絡み合うわけです。

 

では、そもそも法律を変えてしまって、「飲酒は18歳から」としてしまえば良いのでしょうか。

筆者はこの考えには異を唱えます。

上述した、飲酒する未成年の言い分を思い出したいのです。

「19歳が20歳になった瞬間に何か変わるのか」

これを一般化してしまえば、法律で「飲酒はn歳から」(nは非負整数)と定まっている際の、「(n-1)歳がn歳になった瞬間に何か変わるのか」という言論、ということになります。(n=0のときはそもそもこの言論は成り立たなさそうですけどね)

何が言いたいかといえば、法律が「飲酒は18歳から」となれば、人々は16歳あたりからぼちぼち飲酒を始めてしまう気がするということです。

もちろん今のところ飲酒を始める契機が18歳に多いという事実もありますが...。

 

16歳からの飲酒の健康への具体的な影響の話や、それを踏まえたこの数字の是非はさておき。ここに起きている現象は、いうなれば「深読み」というものです。

人は、あまり文言を字句通りに解釈しないのではないでしょうか。どちらかというとその言葉の向こうに「真意」とでも呼べるような「本当のメッセージ」を読み取ろうとすることが多いように思います。

だからこそ解釈改憲が起こるわけですし、経典解釈の論争が起こるわけです。

俗っぽく言えば「振り」となりましょうか。「そうは言っても本心は...」という感じです。

逆に、こんな言い方ができるんではないでしょうか。

人間は、文言を字句通りに解釈するのが苦手である。

現段階では筆者はここに明確な科学的根拠は持ち合わせていないのですが...。

 

このような性質・現象が、法律の限界の一方面を照らしているように思います。

筆者は上記のような考えで以て、「あくまで法律は『20歳から』としておいて、18歳からの飲酒に対しては何ら法的措置を行わないということを機関内で取り決めるのが合理的なのではないか(内密であるのが望ましいか)」というようなことを口にしました。

すると法学を専攻する知人に「それだと不要な法律があることになってしまい、原則に反する」と言われてしまいました。

筆者は法学に関しては疎いのですが、個人的にはこの場面において「20歳から」という法律は不要ではないように思うのです。或いは、仮に現行の法学における定義で以てこれを「不要な法」と呼ぶとしても、筆者の論拠が否定されない限り、あくまで「必要な法」であると判断します。

 

 

以上、未成年飲酒禁止法から考える不文律のお話でした。